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東京の山・神奈川の山・関東周辺の山を夫婦で「気ままに山歩き」登山・ハイキング・トレッキングの山行記録です。

曽我丘陵~別所梅林梅まつり曽我丘陵~別所梅林梅まつり

曽我丘陵(245m)~別所梅林梅まつり
平成30年(2018)2月18日(日)2名

     

曽我丘陵より高山付近の梅園と富士山

国府津駅~曽我丘陵~別所梅林~下曽我駅のGPS軌跡(一部修正)。クリックで拡大

東海道線国府津駅の出口は中央付近ではなく小田原寄りにある。長いホームなので間違えないようにしたい。改札を出ると駅前広場があるが周辺に飲食店などがわずかにあるだけで閑散としている。国府津駅は御殿場線にも接続する主要駅なのになぜなのだろうか?その訳は伊豆半島上部を横断する丹那トンネルにありました。明治、大正、昭和初期まで、かっての御殿場線は箱根を迂回する東海道本線の一部だった。丹那トンネルは16年間にわたる難工事と67名の犠牲者の上に1934年(昭和9年)完成しました。熱海と函南の間に総延長7,804mのトンネルが完成し、これにより現在の東海道本線のルートになった。そのため国府津、御殿場、沼津間は御殿場線となって分離された。それを機に今まで乗換駅として賑わっていた国府津は一気に寂れたそうです。

国府津駅改札口を出た駅前広場前では幾つかの山歩きのグループが待ち合わせをしている。この駅から行く山は曽我丘陵しかない。線路沿いの小道を小田原方面に向かうと右側に線路をくぐるガードが出てくる。曽我丘陵に向かうグループがそのガードをくぐって行った。我々は菅原神社に向かうので次の車道のガードを右折する。5分ほど歩き御殿場線のガード下を行くと菅原神社が見えてきた。

菅原神社

菅原神社 (境内にある案内板より)
国府津の天神さんで知られる菅原神社は、正暦5年(994)に創建されたと伝えられています。祭神は、菅原道真公(845~903)、 天照大神ほか七神が合祀されています。
境内の「曽我の隠れ石」と呼ばれる大きな石には、「曽我兄弟が父の仇である工藤祐経を討つためにこの石に隠れていたが、 警護が厳しく涙を呑んでそのまま見送った」という伝承が残っています。
水神の傍らにそびえる御神木のムクノキは、江戸時代の記録にも見える老木で、小田原市天然記念物に指定されています。
その他境内には、道真公が詠んだ「東風(こち)吹かば、匂いおこせよ梅の花、あるじなしとて春なわすれそ」を記した石碑をはじめ、 様々な石像物があります。また、「撫で牛」は道真の神使とされており、病気治癒に効くとされています。更に、「とおりゃんせ」発祥の地の 石碑も建立されています。
一月に初天神、四月に例大祭、十二月に納め天神が行われるとともに、学業成就や試験合格を願う人々など多くの参拝客で賑わいます。

菅原神社を後にして線路沿いの車道を歩いて行く。直ぐ左側に光明寺という寺が出てきて「六本松跡」という標識(上ノ山農道入口)が付けられている。はじめはそれが曽我丘陵の「六本松」ということが分からなかった。そう言えばよくよく思い返してみると、以前2回ほどここを降りてきたのだった。その時は六本松方面から曽我丘陵をたどり、標識に従って下るとここに降り立ったのだった。目の前に線路が見えたのでここに違いない。しかし今回は最初の予定通り昭文社の「山と高原地図・箱根」(2018年版・箱根には曽我丘陵は掲載されていない。)に出ているコースである線路際の車道を登って行く。光明寺からの道は上ノ山農道といいあまり展望が良くなかったように思う。しかし車道の方は開けていて展望がいい。しかもほとんど車が通らない。参考:国府津・曽我丘陵ウォーキングコース(小田原市観光課)

登りはじめの坂道からの国府津駅

ヘアピンカーブの坂の車道を登って行くとどんどん展望が良くなる。相模湾に浮かぶ大島や伊豆半島、真鶴岬、箱根連山などが見えてくる。

丘陵のいたるところで富士山が見える

このコースは登りはじめから展望が良く、相模湾や箱根、富士山を眺めながらの丘陵歩きができる。ただ、どういうわけか途中からスマホGPSにエラーが出て現在位置が正しく表示されない。現在位置が数百メートルか数キロも離れたとんでもない所を表示する。そのため農道と合流して「海の眺めが良い」所へ向かうところを直進してしまった。GPSのエラーが出る状態がしばらく続いたがいつの間にか正しく表示されるようになった。スマホのGPS設定を高精度に設定しているのになぜだろうか?こういうコースを歩く分にはGPSの調子が悪くても地図が有るのでさほど困らないが、標識のないマイナールートなどを歩く場合は困ることになる。それなのでGPSはあくまでも補助で地図とコンパスが基本だなと思った。農道コースは車道の北側で数十メートル高い。それで時折農道コースを歩く人達の姿がちらちらと見える。車道を歩くのは我々二人の他に見かけない。まあ、これも悪くないな。


箱根連山、左から白銀山、二子山(二つの山)、駒ヶ岳、神山

車道を40分ほど歩きだいぶ上部に差し掛かった。農道コースとの合流地点で「六本松跡」の標識が出てきたのでここを左折し車道から五国峠農道に入る。

表丹沢の眺め。左側の突起が塔ノ岳、中央が三ノ塔、右端が大山

農道を少し進むと真北方向には塔ノ岳や大山などの表丹沢が、北東方向には靄の中に横浜ランドマークタワーが薄っすら見える。更に東寄りにテレビ塔の立つ湘南平や吾妻山の菜の花畑と思われる黄色が微かに見える。

曽我丘陵からの富士山

緩やかな丘陵地のところどころで富士山が見える。富士山の手前にはおむすびを置いたような独特の山容の矢倉岳があり。その下には大きな木と作業小屋の赤い屋根が見える。この辺りの農道の両側はミカン畑になっていてまだ実がついている木も多い。歩いていくと人だかりがしている所に出た。デコポンやキヨミ(ミカンとオレンジの交配種)などの無人販売所なのだ。いつもは無人なのだが今日は日曜日で人出が多いためかミカン農家のおばさんが立ち会っていた。デコポンやキヨミが3個入って100円なのでこれは安い!またもやここで4袋を購入する。このことを予想してザックの中をからにしてきたが、ミカンを入れたらずっしりと重くなった。後ろからも大勢のグループが到着したので早々に退散する。


富士山と丘陵沿いの梅園

農道の下を車道が通る(上町隧道)所を過ぎると急な坂道が続く。どうやら高山(246m)の近くを巻いていく農道のようだ。道の脇で10人ぐらいのグループがフキノトウのてんぷらを揚げている。道は下り坂になり梅園の花が満開だ。登り初めから何も食べていないので道脇の土留めのブロックに腰をかけて行動食の焼きそばパンを食べて10分ほど休憩する。再び歩き始めると農家の人が満開の梅園の中に入って作業をしている。何の作業をしているのかは聞かなかったが多分梅の実を大きくするための剪定作業だと思う。「山と高原地図・箱根」の曽我丘陵で高山のそばに見晴台と有るがこれが見当たらない。通り過ぎてしまったのかなと思っていた。

六本松跡と見晴台への標識

少し進むと通り過ぎてしまったと思っていた見晴台の標識が出てきた。昭文社の「2012版 山と高原地図・箱根」が間違っていたのだ。(2018年版 箱根 金時山・駒ヶ岳では縮尺が1/25000に変更され曽我丘陵は掲載されていない。)見晴台はこの標識から数百メートルほど行ったところにあった。ベンチが一つと簡易トイレが二つ置いてある。3~4人ほどの人がベンチに座って景色を眺めていた。眼下には御殿場線の電車が走り箱根の展望がいいが、富士山はほとんど雲に隠れてしまっていた。

見晴台からの箱根連山

見晴台からは箱根連山が良く見える。左から下二子山(1065m)、上二子山(1091m)、二つを合わせて二子山という。駒ヶ岳(1356m)、神山(1438m)は大きな二子山に見える。駒ケ岳と神山を合わせて箱根山という。神山は箱根の最高峰だ。古くから神の山としてあがめられてきた。ロープウエーのある駒ケ岳は抜群の展望を誇り神山が良く見える。昔の人は駒ケ岳から神山を遥拝してきた。それで神山なのだが木々に覆われて展望はあまり良くない。緩やかな山容は明神ヶ岳(1169m)だ。明神ヶ岳と神山の間に明星ヶ岳(924m)がある。明神ヶ岳の右の突起が金時山(1213m)だ。金時山は静岡県との県境にあり坂田金時の伝説の山としても全国的に有名だ。
金時山は箱根山と共に日本三百名山に選定されている。深田久弥が選定した「日本百名山」に深田クラブが100山を加えて「日本二百名山」とし、更に日本山岳会が100山を加えて「日本三百名山」として選定した山です。ちなみに、神奈川県の百名山は「丹沢山(蛭ヶ岳、丹沢山などを含む)」。二百名山は対象なし。三百名山は「金時山」「箱根山」「大山」である。
ついでに言えば、神山山頂には一等三角点が設置されている。神奈川県に有る一等三角点は8個所ある。「丹沢山(1567m)」「神山(1438m)」「鳶尾山(厚木:234m)」「二子山(逗子:208m)」「浅間山(湘南平:181m)」。他の3か所は100m以下の市街地にある。いずれも明治初期以降の日本の三角測量初期に設置された。みなさんの住む街にも2等、3等、4等三角点があるかも知れない。調べて見るのも興味深い。
参考:三角点の一覧(神奈川~全国)。地形図の原点 相模野基線湘南平~浅間山~吾妻山公園


青空の下、梅園沿いの曽我丘陵を歩く

元の標識の所に戻り六本松を目指す。農道の脇には梅の花が咲き前方には緩やかな丘陵が見えている。10分ほどの歩きで六本松跡が見えてきた。昔は重要な峠道であったようだが、今では何の変哲もない道だ。目印となっていた松の木も今はもう枯れ果てて無い。

六本松跡と芭蕉の句碑(小田原市公式サイトより)
六本松跡は、曽我山(当時山彦山といった)の峠道で、六本の古松があったことからこう呼ばれています。この峠は鎌倉時代、曽我氏・中村氏・松田氏・河村氏の各豪族の居館と鎌倉を結んでおり、曽我別所から足柄峠へと通ずる「鎌倉道」、大山からこの峠を越えて高田・千代・飯泉へ通ずる「大山道(中村通)」、そして押切方面より小田原に至る「箱根道」が交わる重要な峠であったといわれています。
現在は、一本の松も存在しませんが、大正7年(1918)孤山人(尾崎八束‐宗我神社神官)筆の六本松跡碑があります。また、俳聖芭蕉の句碑があり、この碑は芭蕉復興運動を行った加舎白雄が建てたものであるとされています。参考:小田原の観光・六本松跡

六本松から車道のトンネルをくぐり下曽我方面へ下って行く。別所梅林に近づくと前を横切る道路に車が渋滞している。

別所梅林の青軸の梅

渋滞している車に手を挙げて道路を横断して別所梅林の中に入って行く。梅林に入ると直ぐに花の色が青っぽい見事な梅の木があった。これが青軸という梅なのだろうか。

別所梅林梅まつり会場周辺

別所梅林梅まつり会場に近づくと大変な混みようだ。食堂の中では注文を待つ人が二十人以上並んでいる。先に食券を販売機で購入するのだが頼もうと思っていたラーメンは既に品切れであった。やむなく梅の香うどんを頼むことにする。食堂で並んでいるとテーブルの椅子が二つ空いたのでそこに座る。連れが列に並んでうどんを二つ分持ってきた。なるほど、うどんの上に練り梅と刻み海苔が載っている。それで梅の香うどんか。確かに梅の味がする。使い捨てどんぶりで味気ないがうどんの味はまあまあだ。平日だと食堂がやっていないかと思ってわざわざ日曜日を選んだのだが誤算だった。こんなに混んでいるなら平日に来ればよかった。参考:小田原梅まつり 曽我別所梅まつり観光協会公式ホームページ

別所梅林のしだれ紅梅

こんな混むところにわざわざ車で来なくてもいいと思うが、車を持っている人は矢張り電車やバスが面倒なのだろう。まして子供連れならなおさらだ。梅林の中で車があちこちで渋滞している。梅の花は四分咲き位だろうか。まだまだ、これから咲く梅も多いようだ。何かの写真に載せるのだろう、カメラマンたちが満開の梅を背景に華やかな和服の若い女性を撮影していた。梅の花を眺めながら別所梅林を抜け駅への車道に出る。途中1か所で連れが土産物屋に寄り買い物をする。下曽我駅前の梅の里センターの少し奥でも梅まつりをやっているようなので寄って行く。ここが原梅林の梅まつりの会場なのだろう。焼き鳥などの屋台が10か所ほど並び仮設舞台で和服の女性たちが踊っていた。焼きたての焼き鳥を食べてから下曽我駅に向かう。

昔の土蔵造りのような御殿場線下曽我駅

下曽我駅は昔の土蔵造りのような木造の駅舎だ。この駅舎は戦時中に空襲の被害を受けたが修理や改修をして現在に至っているそうです。かっては東海道本線だった御殿場線なので当時は複線だったのです。それが東海道本線から分離され不要不急線となり戦時中の金属供出により単線になってしまいました。現在、複線だったら沿線の風景も違ったものになっているはずです。残念なことです。
それにしても御殿場線は電車がなかなか来ない。時刻表を見ると何と1時間に1本とか2本だ。これは何とかならないものだろうか?しかし1日の乗降客が少ないので仕方がないのかも知れない。それにスイカやパスモが使えないのも非常に不便だ。もっとも、これは平成31年(2019年)の春にはIC化され解消されるそうだ。変わらないと思っていた御殿場線に進化があった。(歓迎!笑)

国府津駅~曽我丘陵~六本松~別所梅林~下曽我駅の予定ルート断面図

コースタイム 歩行2時間30分 (距離9.4km 累積の登り410m 下り-406m)
国府津駅9:35→9:45菅原神社9:55→10:36五国峠農道→休憩10分→11:40見晴台11:50→12:00六本松→12:20別所梅林12:55→13:15原梅まつり13:30→13:35御殿場線下曽我駅(トラックログが一部取れていないため括弧内はルート作成による)

過去の曽我丘陵の記録
H26-03-17 新松田駅~富士見塚~曽我丘陵~六本松~下曽我駅
H25-03-06 上大井駅~いこいの村~曽我丘陵~六本松~見晴台~国府津駅
H23-02-13 秦野駅~渋沢丘陵~いこいの村~曽我丘陵~六本松~下曽我駅
H22-02-03 秦野駅~渋沢丘陵~いこいの村~曽我丘陵~六本松~見晴台~国府津駅


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