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東京の山・神奈川の山・関東周辺の山を夫婦で「気ままに山歩き」登山・ハイキング・トレッキングの山行記録です。

山行記録 ~山ヤドリキ蝋梅園ウォーキング

寄(ヤドリキ)ロウバイ園~中山峠(398m)~渋沢駅 
平成31年(2019)1月22日(火)2名

     

小田急線新松田駅からの富士山

寄バス停~ヤドリキ蝋梅園~中山峠~渋沢駅のGPS軌跡

新松田駅の連絡通路からは金時山などの箱根連山と富士山が見えた。寄では富士山は見えないので写真を撮っておく。新松田駅北口の2番バス乗場から寄(ヤドリキ)行がでる。「寄ロウバイまつり」中なのでもっと混むかと思っていたが、平日だからかそれほどでもなかった。それでも13,4名ほどは乗車したが、やはり女性が多い。バスは小田急線沿いの県道を走り渋沢丘陵西端の頭高山の麓から踏切と国道246号を横切り寄へ向かった。そして次第に高度を上げ山中に入る。標高は300mほどだろうか、展望はよく周辺の山々や麓のほうも良く見える。やがてやや下り坂となり、次々と集落を抜け寄神社前を通り「寄バス停」に到着した。バス停近くに臨時売店があり、連れと自分もミカンを何袋か購入する。ミカンの大きさにより1袋100円か200円であった。

ところで寄(ヤドリキ)とは何とも珍しい地名である。初めは植物のヤドリギ(宿り木)と関係があるのではないかと思った。しかし調べて見ると関係がなかった。その地名由来はザッと次のようである。寄(ヤドリキが正式名。ヤドリギ、ヤドロギと呼ばれる場合もある)は明治8年(1875年)近隣の7ヶ村(萱沼、弥勒寺、中山、土佐原、宇津茂、大寺、虫沢)が合併して寄村となった。当時、この7ヶ村では問題が生じた場合その都度寄り合って相談し解決していた。そこで、合併後も寄り合って相談していこうということで寄村と名付けられたのだ。この7ヶ村は地形図や昭文社の山と高原地図にも地名として残っている。

ヤドリキ蝋梅園のロウバイ

寄ロウバイ園ができるまで
寄ロウバイ園は地元の方々が平成16年に標高380メートル付近の荒廃農地を整備し、平成17年度寄中学校卒業生が250株のロウバイを記念植樹したのが始まりです。250株から始まった寄ロウバイ園も今年で11年目を迎えて3,000株20,000本以上、敷地面積13,000㎡以上と日本最大級のロウバイ園となりました。
(「松田町寄ロウバイまつり」パンフレットより)
関東周辺のロウバイ園としては埼玉県長瀞町長瀞の宝登山(標高497m)山頂付近も有名である。約15,000㎡の敷地に3,000本のロウバイが咲くという。見頃は1月中旬から3月上旬頃。

ヤドリキ蝋梅園のロウバイ

寄バス停からワゴン車の無料シャトルバスが出ている。歩いても7,8分くらいの距離だが坂道なのでバスを出しているのだろう。因みに寄バス停は標高290m位で、ロウバイ園入口までは40mほど登る。ロウバイ園入口で受付けがあり入園料300円を払う。隣接して売店などがありミカンや川魚や野菜等が売られていた。ロウバイ園は斜面に植えられており散策路を歩いていくと次第に登って行くようになる。一番高い展望台は標高380m位なのでバス停からは90mほど登ることになる。散策路を歩いていくとロウバイが競うように咲き始めている。甘い香りも辺りに漂っている。そして登って行くと次第に展望がよくなり周囲の山や麓の風景が見えてくる。

ヤドリキ蝋梅園のロウバイ

ロウバイ(蝋梅)
蝋梅は中国原産でロウバイ科の落葉低木である。17世紀の江戸時代初期に日本に伝えられ観賞用として広まった。 高さが2〜3mの灌木で、ひとつの株から、地下で分けつ(枝分かれ)して生えてくる。それでロウバイ園などでは株数と本数を分けて表示している場合がある。花は蝋のような透明感があり梅に似た香りがする。冬の時期に枝に直接花をつける姿が梅に似ているのが名前の由来である。


ヤドリキ蝋梅園のロウバイ

ヤドリキ蝋梅園、所々にベンチが設けられている

ヤドリキ蝋梅園の散策路


ヤドリキ蝋梅園中腹からの風景、上部に展望台に立つ人が見える

寄ロウバイ園の中腹から見上げると一面にロウバイの木が植えられており花が咲き始めている。ロウバイの花は淡い色なので遠くから見ると煙るような薄黄色である。しかし斜面一面なのでその眺めは壮観である。

ヤドリキ蝋梅園上部のロウバイと茶畑

最上部の展望台で景色を楽しみ寄ロウバイ園を後にする。この辺りまでが旧地名の「宇津茂」地区でこれから先は「土佐原」地区になる。展望台から先はほとんど平坦である。途中で「土佐原のしだれ桜」の木を右下に見る。しだれ桜の周囲には大きな木がないので、桜が咲く季節にはさぞ見事なことだろうと思う。

ヤドリキ蝋梅園を越えて土佐原休憩施設前のロウバイ

更に先に進むと土佐原休憩施設の建物が見えてきた。その近くにもロウバイの木が多くあり花が咲いている。土佐原休憩施設はトイレとその隣にベンチテーブルが設けられて休憩できるようになっている。


ヤドリキ蝋梅園を越えて中山峠へ向かう途中の里山風景

土佐原地区には民家が点在しているがそれほど古い建物は見受けられない。もっとも歴史のある建物でも屋根や外壁をリフォームすれば古くは見えないのだから確かなことは判らない。

丹沢・檜岳山稜(左から伊勢沢ノ頭、檜岳、雨山1,176m)

民家がなくなり茶畑を抜けると展望が良くなって鍋割山に連なる檜岳山稜が見えてきた。中央の台形の山が檜岳(ひのきだっか:1,169m)である。

梅の花がもう咲いていた

この辺りは標高380mくらいで茶畑の隣の集落の外れに梅の木があった。他にも梅の木はあったがこの木だけに花が咲いていた。

中山峠付近のゴルフ場「太平洋クラブ相模コース」沿いを歩く

林道の左が山側で右側は遠くまで開けている。その道を15分ほど歩くと右側にゴルフコースが見えてきた。よく手入れされたグリーン(茶色だが)に白いバンカーが幾つもある。赤いジャケットを着た女性ゴルファーがコース上を歩いていく。そしてバンカーの手前で1打放った。その後を3名のメンバーが続く。無人のリモコンカートがゴロゴロと音を立てながらその脇を走っていく。まさに絵になる光景である。

ゴルフ場入口(末端)から渋沢市街地を見る

中山峠(約398m)は途中にあったはずだが分からないまま通り過ぎた。ゴルフ場の末端に道路があり、ここがゴルフクラブの入口のようだ。ちょうど、ここからは渋沢の市街地が見える。右側の低い山が弘法山と権現山である。左側の次第に高くなっていく山は大山に連なる念仏山、高取山などである。ちょうど12時になったのでポットのお湯でコーヒーを入れサンドイッチの行動食をとる。20分ほど休憩してから歩き始める。ここからは車の通行が多くなる。途中の左側に住吉神社があり階段を登って拝観する。普段は無人の神社である。創始年代は詳らかではないが、『新編相模国風土記稿』(天保年間)に「住吉社、村の鎮守なり。例祭九月十七日村民持」と記す。 明治中期、上秦野神社に合祀、昭和二十二年十一月三日、地域住民の要望により旧住吉神社に御分霊を分祀し、独立祭祀を行うようになった。神奈川県神社庁より

丹沢表尾根の山々(左が塔ノ岳方面~右が三ノ塔)

住吉神社からは道は大きく北に迂回して行くようになる。途中に横切る道が無いのだ。この辺りは老人ホームが有ったり民家が点在し丹沢表尾根が良く見える。迂回路の転換点から塔ノ岳や鍋割山の起点である大倉バス停まで直線距離で1kmほどなのだが四十八瀬川を渡る橋が無いのだ。橋があれば便利なのだが。そのため渋沢駅に向かうほうが早い。途中で新東名高速道路の工事中で行き止まりとなっていた。人は通行できるのではないかと100mほど行ったが道は寸断され通れず元に戻り迂回した。四十八瀬川の橋を渡ると水はほんのわずかに中央を流れるだけであった。しばらく狭い歩道の車道を歩くとようやく信号が見えてきた。ここから市街地となり歩道部分も整備されている。堀川交差点から15分ほど歩くと渋沢駅であった。

寄バス停~ヤドリキ蝋梅園~中山峠~渋沢駅のコース断面図

コースタイム ゆっくり歩いて、歩行3時間 距離10.4km 累積の登り358m 下り-481m
小田急線新松田駅(バス)940発~10:10寄(ヤドリキ)バス停10:20→10:30寄ロウバイ園(入場料¥300)10:55→土佐原の枝垂れ桜を右下に見る→11:05土佐原休憩施設(トイレ有)11:15→茶畑と里山の風景→梅を見る→ゴルフ場を見ながら歩く→11:55中山峠(標識は無い)→12:00ゴルフ場入口・末端(道路脇でコーヒー休憩20分)→12:57新東名高速道路の工事中で迂回→13:11三廻部(みくるべ)入口→四十八瀬川の橋を渡る→信号機が出てきて市街地に入る→13:30堀川→国道246号の歩道橋を渡る→13:55渋沢駅(駅近ラーメン店・阿闍梨で昼食)。


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