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東京の山・神奈川の山・関東周辺の山を夫婦で「気ままに山歩き」登山・ハイキング・トレッキングの山行記録です。

丹沢・吾妻山~弘法山~権現山~渋沢丘陵丹沢・吾妻山~弘法山~権現山~渋沢丘陵

丹沢・吾妻山~弘法山(235m)~権現山~渋沢丘陵 
平成31年(2019)4月5日(金)2名

     

渋沢丘陵から権現山をみる(右)

鶴巻温泉駅~吾妻山~弘法山~権現山~渋沢丘陵~秦野駅のGPS軌跡

大山の南部に位置する渋沢丘陵や権現山・弘法山などはこれまで数多く登ってきた。標高250m以下の丘陵地帯で低いこともあり、訪れるのは何時も12月~2月の冬の時期だった。いつかは春爛漫の桜の季節に登って見たいと思っていた。そこで今回は鶴巻温泉から弘法山・権現山の桜を見て秦野へ下り、白笹神社から渋沢丘陵に登り最短で秦野駅に戻るルートを歩いてみた。

小田急線鶴巻温泉駅で降り北口広場を横切り前面道路を左に歩く。次の角を右折すると直ぐに下記写真の石灯籠が出てくる。ここが旅館光鶴園があった場所であり現在秦野市営の弘法の里湯である。

鶴巻温泉駅の「弘法の里湯」手前にある大山講の石灯籠

落語に大山詣り(おおやままいり)というのがあるが、江戸時代の庶民が寺社にお参りするのは数少ない娯楽だった。丹沢にある大山は別名(雨降山)と言われ、昔から雨乞いの神様の山として崇められていた。 この大山に至る道を大山道といい各地から30ルート以上あったようだ。その中の主な道を「矢倉沢往還」と言い「大山道」「大山街道」などと呼んだ。大山は信仰の山だったので江戸時代には関東地方各地で「大山講」が組織された。大山講は春山(4月5日〜4月20日)や夏山(7月27日〜8月17日)の期間に多くの人々が登拝を行った。大山講の参詣者は白の行衣・雨具・菅笠・白地の手っ甲脚絆・着ゴザという出で立ちで腰に鈴をつけ「六根清浄」の掛念仏を唱えながら5~6人か多い時には20~30人が一団となって大山へと向かった。最盛期の宝暦年間(1751~1764)には、年間約20万人の参詣者を数えたという。

この大山講の石灯籠は光鶴園が昭和初期に立てたものと思われる。 石灯籠の下には斉藤昌三(古書研究家:1887-1961)の句、「虫時雨 大山能は な保つゞ九」 が刻まれた石板が付けられている。

弘法の里湯から道なりに進むと右手に大和旅館を見る。更に右手に陣屋へ行く路地を見て通り過ぎ、次の路地を左折する。東名高速道路下をくぐり民家の間の道を進んで行くと、下記写真の石の道標が出てくる。

石の道標正面(鶴巻温泉側)と刻まれた文字(右)

これは昭和初期頃の石柱標識で設置から90年ほど経つとみられる。

石の道標、各面に刻まれた文字

この石柱を立てた光鶴園(こうかくえん)は小田急電鉄が経営の一環として土地を用意して、東京の料理旅館の女将に経営をまかせたのが始まりといわれている。光鶴園の名称は当時の小田急電鉄創業者で社長の利光鶴松(としみつつるまつ)の真中の2文字を使用したものである。その当時、光鶴園は現存の陣屋と並んで鶴巻2大旅館と呼ばれていた。それで光鶴園は弘法山や大山への登山客のためにこの石柱標識を設置したものと思われる。光鶴園は1999年(平成11年)に廃業し現存しないが、その跡地が弘法の里湯である。

石柱標識から緩やかな尾根道を15分ほど登ると吾妻山である。吾妻山は山頂とも思えない尾根道の途中にあり、東屋と吾妻神社の碑や吾妻山由来の説明板などが立てられている。南方向には高麗山の湘南平が見える。

ウグイスカグラ(鶯神楽)

ウグイスカグラ(鶯神楽)樹高が1~2m位でスイカズラ科の落葉低木。日本固有種で北海道南部から九州まで広く分布し山野などに自生する。4月~5月ごろ淡いピンク色で先端が5つに開いたラッパ状の小さな花を咲かせる。ここ吾妻山から善波峠へ至る山道にも沢山咲いていた。ただ小さくて目立たない花なので見過ごしてしまうことが多い。花の後は長さ1cmほどのだ円形の果実ができる。6月ころには赤く熟し透明感のある甘い果実で食べられる。名前の由来はウグイスが実をついばむ姿が神楽を踊っているように見える事とか、ウグイスが鳴き始める頃に花が咲く事から、と言われている。

善波峠付近からの富士山と秦野市街

吾妻山から善波峠へ至る尾根道の両側にはウグイスカグラの木が多くあった。小さなぶどうの房のような薄緑のキブシの花も所々にあった。新緑の尾根道を歩き右手に善波峠のモーテル群を下に見て進むと善波峠の分岐である。右方向に直進すると60mほど先に善波峠があり、念仏山・高取山・浅間山・蓑毛越を経て阿夫利神社下社や大山山頂に至る。左の坂を登って行くと弘法山方面である。

善波峠は矢倉沢往還が通っていた。 矢倉沢往還は江戸(東京)赤坂御門から三軒茶屋・川崎・厚木・伊勢原・秦野・渋沢・矢倉沢・御殿場を経て東海道の沼津宿に至る街道であった。途中に矢倉沢関所があったので「矢倉沢往還」と呼ばれていた。矢倉沢往還は元々は主要街道(古東海道)であった。だが鎌倉時代に箱根湯坂道が開かれ、更に江戸時代になると箱根東坂や西坂が本道になり裏街道という位置づけになってしまう。しかし江戸中期から庶民の間に大山講が盛んになると、宿駅が整備されていた矢倉沢往還が参詣道として利用されるようになる。そして大山阿夫利神社までの道を「大山街道・大山道」と呼んだ。

現在、この登山道の善波峠の下に善波隧道(旧善波トンネル:全長158m)がある。また善波峠の180mほど北側に国道246号の新善波隧道(全長260mのトンネル)がある。善波峠がある国道246号は東京都千代田区赤坂見附から神奈川県県央部を経て静岡県沼津市に至る。この国道246号は矢倉沢往還の経路を原形として出来た一般国道なのである。

弘法山へ新緑の道

善波峠分岐から弘法山へは木の間越しに富士山や大山なども時々見える。新緑の季節だから芽吹き始めた尾根道が淡い緑に覆われている。善波峠から20分ほど歩き弘法山山頂直下は木の根が露出したやや急な登りだ。


弘法山山頂

弘法山山頂へ裏手から上ると山頂は写真のような風景だ。写真左は釈迦堂、中央に桜の木があり、前方に井戸がある。右の鐘があるのが鐘楼である。弘法山(こうぼうやま)は、神奈川県秦野市東部にある標高235mの山であり、丹沢山塊の南端に位置する。隣接する権現山、浅間山とともに弘法山公園となっている。地元では、これらの山をまとめて弘法山と呼ぶことも多い。弘法大師がこの山で修行を行ったとされる故事に由来する。山頂には釈迦堂、鐘楼、乳の井戸がある。

弘法山方面から春色の権現山を見る

弘法山で軽い行動食をとる。犬を連れたアメリカやヨーロッパ系の家族や二人連れなど、一般の登山客に交じって外国人も多い。小休止のあと権現山に向けて西側の階段を下る。階段を下りきると権現山とつなげる馬場道という広い通路にでる。周辺は至るところに桜の木があり満開の花が咲いている。

馬場道の満開の桜

弘法山から権現山、浅間山にかけての3つの山をを弘法山公園という。弘法山公園は神奈川の景勝50選、神奈川の探鳥地50選、神奈川の花の名所100選、関東の富士見百景に選ばれている。馬場道は権現山と弘法山を結ぶ広い尾根道の名前である。昔、この周辺の農民が草競馬を楽しんだことに由来するという。今は道の両側に桜並木があり桜の時期には多くの人が訪れる。


弘法山から権現山へ登る階段の桜並木

弘法山公園は桜の名所としても有名で公園全体で2000本を越える桜がある。馬場道や権現山直下の階段は桜のトンネルとなる。

展望台がある権現山山頂

権現山はまたの名を「千畳敷」と呼ばれ広く平らな山頂である。権現山の名前の由来は山頂に権現堂があったためである。麓にある龍法寺の伝えによると権現山には白山妙理権現が祭られていたという。権現山にある展望台は2001年に建てられた。小田急線の車窓からも東海大学駅から秦野駅に近づくと、右手の山の上に権現山展望台を見ることができる。

権現山山頂より箱根連山

権現山の展望台からは晴れた日には相模湾から江ノ島、房総半島、箱根連山、富士山、丹沢や大山などを展望できる。上の写真は箱根連山と秦野市街地。箱根連山:左から双子山(二つの山)、駒ヶ岳、神山、明神ヶ岳、金時山。


権現山山頂より富士山

権現山の展望台からの富士山の眺望は素晴らしく関東の富士見百景に選ばれてる。

権現山展望台より、富士山の反対方向に見える大山

しばし権現山展望台で景色を楽しんでから下ることにする。道標にしたがい浅間山方向に下ると再び山道の階段となる。途中車道を横切り緩やかに登ると浅間山である。浅間山山頂には東屋があり、ここからも富士山がきれいに見える。富士山の見える一角で4,5人のグループが何やら撮影をしていた。何と花嫁は金襴緞子を身に付けている。これは日本人らしい。花婿は浅黒いアラブ人風で紋付羽織はかまで大小二本の刀を差している。この何とも違和感のある花嫁花婿が富士山をバックに撮影しているのである。カメラスタッフは3名くらいいたと思う。本当の結婚式の記念撮影なのか、あるいはCMなどの撮影なのかは分からない。

桜の季節なのでグループでの登山者が多い。中でも多かったのは下りですれ違ったのは30名ぐらいの中高年の登山グループであった。山道を下りきると川沿いの道になる。車道にでると「弘法山公園入口」の大きな表示板があった。車道(歩道)を左方向に歩き二つ目の信号が河原町である。ここを右折して水無川沿いの車道(歩道)を歩く。途中から水無川の中の遊歩道を歩く。秦野駅が近くなり車道に出て秦野駅手前を左折する。小田急線の下をくぐり二つ目の信号を右折すると秦野駅南口の今泉名水桜公園辺りに出る。

今泉名水桜公園(鐘は太学院)

秦野駅南口から徒歩5分くらいのところに今泉名水桜公園がある。ここに隣接して亀王山太岳院というお寺がある。ここの桜を見てからいつもの渋沢丘陵へ行く道を歩く。

白笹稲荷の鳥居

白笹稲荷神社は小田急線秦野駅より徒歩で約30分のところにある。江戸時代初期は白篠(しらささ)の文字を用いていた。1774年(安永3年)に由来を明らかにするため、新たに伏見稲荷を祭って再建された。キツネは農作物の外敵であるネズミを食べてくれる。そのため神社では春の耕作の始めに田神(たのかみ)として迎えられる食べ物の神様の使いと考えられていた。毎年2月の初午(はつうま)には五穀豊穣を祈って祭りが行われ各地から大勢の参拝者が訪れる。関東三大稲荷のひとつに挙げられている。

白笹稲荷のキツネ像

二つ目の鳥居の手前に4匹の狐の像があり、左側の2匹の狐の前には「子守り狛狐」の説明板がある。右の2匹の狐の内、下の狐の姿が異様である。全速力で走っていて、とっさに振り向いた時の後ろ脚と尻尾に見える。特に太い尻尾が印象的である。狐の尻尾が稲穂(稲束)に似ているため、稲荷社縁起の「稲奈利(稲成り)」に通じるという説がある。想像するに、稲の豊作の象徴としてキツネの尻尾で表現したのではないか。

白笹稲荷からの桜風景

白笹稲荷境内からの「桜と木立と白い雲」の風景。

古民家風・白笹うどん

白笹稲荷から徒歩5分ほどにある「白笹うどん 多奈加」。古い農家をリニューアルしたような造りである。人気があるとみえて駐車場に数台の車が停まっていた。奥が調理場になっていて手前に大きなテーブルがあり、その周囲に小さなテーブル席が幾つかある。右側には広い和室があり座卓が多く並べられていた。暑かったせいもありザルうどんを注文した。うどんは腰があって噛み応えがあるが、かといって硬いわけでもない。付け汁に胡麻や小葱を入れレモンを絞って食べる。うどんの量はそれほど多くないのでお代わりを頼む。お代わりは最初に注文したものと同量であった。それなのにお代わり代が¥100とはお得だと思った。

渋沢丘陵より丹沢表尾根

白笹うどんを出て白笹稲荷の鳥居前からの通りを左に行くと広い車道にでる。信号を渡り坂道を登って行くと次第に展望が開けてくる。そして上るにつれてどんどん展望が良くなってくる。道脇には畑が広がり春には菜の花、秋にはそばの花なども楽しめる。秦野市街や丹沢表尾根のほとんどすべてが見える。写真左奥のピークが塔ノ岳で、手前の三つの山は左から、三ノ塔(二ノ塔を含む)・岳ノ台・大山である。秦野駅から徒歩40~50分ほどの丘陵地帯でこれだけの大展望が見えるところは珍しい。

渋沢丘陵より富士山

渋沢丘陵の稜線に達すると道標がある。そこから見た富士山である。午後2時になってもこれだけの富士山が見えるのは珍しい。渋沢丘陵は秦野市の南側に位置する最高標高220mほどの丘陵地帯である。小田急線の渋沢駅と秦野駅を結ぶ線に沿って連なっている。この丘陵には関東大震災の時に誕生した湖である震生湖がある。

渋沢丘陵より曽我丘陵と箱根を見る

本来なら渋沢丘陵を西に歩いて渋沢駅に下るところだが、今回は趣向を変えて東に歩くことにした。歩いていく道は舗装された車道で車はほとんど通らない。途中右手に秦野市水道局の金井場配水場があった。この先から曽我丘陵と箱根の山並みが一部見えた。更に先に進むと緩やかな下り登りがあり、鶏舎のような建物があった。風にのってその鶏舎の臭いが漂ってくる。しばらく歩くと突き当りとなる。秦野総合高校と右に隣接して南ヶ丘中学があった。渋沢丘陵の道標からここまで十数分かかった。この付近には南ヶ丘の大きな団地がある。ここを左折してスマホGPSを見ながら住宅地を30分ほど歩き秦野駅に到着した。

鶴巻温泉駅~吾妻山~弘法山~権現山~渋沢丘陵~秦野駅のコース断面図

コースタイム 4時間 距離13.3km 累積の登り+596m 下り-518m
小田急線鶴巻温泉駅9:10→9:43吾妻山9:48→10:53弘法山11:05→11:20権現山11:41→12:19河原町→13:10白笹稲荷13:11→13:16白笹うどん(昼食)13:46→14:05渋沢丘陵→14:47秦野駅


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