本文へスキップ

東京の山・神奈川の山・関東周辺の山を夫婦で「気ままに山歩き」登山・ハイキング・トレッキングの山行記録です。

箱根・湯坂路~鷹巣山箱根・湯坂路~鷹巣山

箱根・湯坂路~鷹巣山(834m) 
平成30年(2018)6月4日(月)2名

     

小涌谷分岐から千条の滝へ下る途中のコアジサイ

箱根湯本~湯坂路~浅間山~鷹巣山~小涌谷のGPS軌跡(クリックで拡大)

箱根湯本駅前の広い道路が国道1号線・東海道である。国道1号線は箱根の主要温泉場沿いを通って行く。箱根湯本、塔ノ沢、宮ノ下、堂ヶ島、底倉、木賀、小涌谷、強羅、芦ノ湯、元箱根の各温泉を経て箱根峠に至る。この国道1号線を右(西)方向(塔ノ沢方面)に行く。5分ほど歩くと早川に掛かる新旭橋を渡る。

古の東海道で小田原から沼津へ抜けるには関本~足柄峠~御殿場という足柄路が使われていた。802年に富士山の噴火(延暦大噴火)が起きると足柄路が噴石で塞がれ通行不能となる。その足柄路の代わりに開かれたのが湯坂路なのだ。湯坂路は箱根湯本~湯坂山~浅間山~鷹巣山を経て芦の湯に下り、芦ノ湖畔の芦川から箱根峠を越えて三島に至る。 足柄路は翌年復旧するが、湯坂路は距離が短いため使われ続ける。1185年に鎌倉幕府が成立すると鎌倉と各地を結ぶ道路が次々と造られた。これが鎌倉街道(鎌倉古道)であり各地に無数にあった。湯坂路もこの鎌倉古道の一つで東関紀行(作者不詳)、1279年に十六夜(いざよい)日記の阿仏尼や鎌倉幕府の将軍たちも歩いたとされる道なのである。江戸幕府はその後、通行量の増加や戦略上から湯坂路の南側の須雲川沿いに旧東海道(箱根旧街道)を開きこれが主要道となった。

鎌倉時代の箱根路越え、阿仏尼「十六夜日記」

湯坂路(鎌倉古道)入口

新旭橋から50mほど先の道路の向こう側に湯坂路(鎌倉古道)入口が出てくる。道路を渡ろうにも高いガードレールがあって渡れない。やむなくそのまま進むと100mほど先に横断歩道があった。横断歩道を渡り湯坂路入口まで戻る。こうならないためには箱根湯本駅前で道路を渡ってから歩いたほうが良いだろう。

湯坂路の石畳

湯坂路入口から細い斜面の道を登る。石がごろごろあるのは上から落ちてきたものなのだろう。しばらくは歩きにくい道だ。右の山斜面から落石があるようで谷側に造られたフェンスがひしゃげている。登りはじめから25分ほど歩くと少し開けた台地にでた。案内板には湯坂城跡とある。周囲にはひと抱えもありそうな岩が二つある。ただ素人目にはここが城跡には見えず、また城の痕跡すらも感じられなかった。

湯坂城跡(ゆさかじょうし) 現地案内板より
今から600年ほど前の室町時代の終わりに、このあたりを治めていた大森氏により、ここを通る湯坂道を押さえるために築かれた山城である。戦国時代になり、大森氏に代わりこの地を支配した小田原北条氏は、防衛の拠点として整備し、箱根山中のほかの山城と合わせて、西からの侵攻に備えた。当時とは地形が変わり、その規模や施設など不明な点も多いが、整地された郭(くるわ)や郭を仕切る土塁(どるい)や堀切(ほりきり)に当時の面影を見ることができる。

時には針葉樹林帯も抜ける

湯坂城跡から歩きやすい道になる。石畳の道も出てくる。石畳の道はやはり風情があっていいものだ。湯坂路は802年の富士山の大噴火により足柄路が閉鎖されてから開かれた道だ。だから1200年有余の歴史がある。石畳には昔ここを歩いたであろう人の姿をほうふつとさせる何かがある。湯坂路はほとんどが箱根笹や広葉樹の中を通るが1か所だけ上のような針葉樹の中を通る。


ナルコユリ(鳴子百合)

針葉樹林を過ぎ更にしばらく歩く。標高480mぐらいから尾根道が急に広くなる。尾根の周囲を切り開いて防火帯としているのだろう。尾根道には桜やカエデなども大きく育ちそれが適当な木陰を作っている。だから日差しはあるがそれほど暑くはない。

ナルコユリ ユリ科 茎は丸く葉の脇から出た枝に花が3~5個付く。似た花のアマドコロは花の数が少く茎が角ばっている。名前の由来は花の様子を鳴子に例えたもの。鳴子とは田んぼなどで鳥を追い払うのに用いる道具のこと。張った綱に鳴子を下げ、綱を引くとガラガラ音を出す。トリオドシ。

広い尾根道の湯坂路

春から初夏にかけて咲くノアザミ(野薊)

ノアザミ 秋に咲くアザミが多い中でこのアザミは最も早い時期に咲く。花期は春から初夏、盛夏にかけて咲く最もアザミらしいアザミ。草丈は50cm~1m位。葉に棘があり花の色は紅紫色。写真でたくさん伸びている雄しべに付いているのは白い花粉。指で雄しべを刺激すると10秒ほどで花粉が出てくる。名前の由来は野に咲くアザミだからとなんの変哲もない。


湯坂路

地図上には湯坂山546m、城山743mとあるが山名板は見なかった。GPSで確認はできたが山頂のような感じではなく普通なら通り過ぎてしまうだろう。大平台分岐で標識があり浅間山へ向かう。浅間山は見通しの良い草原の丘という感じで木陰はない。案内板のそばにベンチが一つありここで行動食をとり休憩する。カンカン照りで暑いので直ぐに退散する。100mほど先に進んだ道標の近くにもう一つのベンチがあった。道標を確認して鷹巣山に向かう。

浅間山(せんげんやま 804m)現地案内板より
昔は下鷹巣山といわれていました。江戸時代 富士山への信仰から浅間信仰が起こり、この山の中腹に浅間神社を祭ってから、浅間山と呼ばれるようになりました。鷹巣城があったのはこの山と思われます。

浅間山から緩やかに下って行くと小涌谷分岐の標識が出てくる。小涌谷・千条の滝へ下る道を右に見て通過し林道を横切り更に進む。鷹巣山へは階段の急な登りを標高差70mほど登る。鷹巣城跡の案内板とベンチがあり周囲は開けているが展望はあまり良くない。小休止のあと元来た道を引き返す。

鷹巣城(たかのすじょう)跡 現地案内板より
鷹巣城は、秀吉の小田原攻めに備えて、後北条氏が建築した箱根山の諸城のひとつである。天正18年(1590年)秀吉の小田原攻めが始まり、同年3月下旬には、秀吉軍は箱根山に入ったと思われるが、この時、秀吉に従って参陣した家康もしばらくこの城に滞在したという記録がある。しかし、その城跡については位置、規模など不明の点が多い。

小涌谷分岐より金時山(1213m)

再び戻ってきた林道付近から金時山や明神ヶ岳が木の間越に見える。今度は先ほど通過した小涌谷分岐の標識から左に下って行く。登山道の両脇にはコアジサイが咲き始めている。地味な花だがこのように群生しているのはあまり見たことがない。登山道は急な下りで少し荒れているので注意しながら下る。コアジサイは急な下りの数百メートルほどの間に咲いていた。


コアジサイ(小紫陽花)群生地を下る

コアジサイ 白から淡青色のごく小さい花が集まり、ふんわりと霞んだような5cmほどの花の塊りを作る。一つの花は4~5㎜ほどの大きさで、葉には縁に鋭い鋸歯がある。

次々に現れるコアジサイ

コアジサイ群生地は数百メートルほど続いた

コアジサイは斜面に咲いており下りきるとなくなった。そして絵にかいたようなもやった様な山の景色が見える。更に左の方向には台形をした駒ヶ岳がクッキリと聳えていた。緩やかな道を400mほど下って行くと沢の音が次第に大きくなってくる。

千条の滝へ向かう途中から見た山景色

箱根駒ヶ岳(1356m)

高さ3mほどの小さな滝、千条の滝

千条ノ滝の前を流れるのは蛇骨川だ。蛇骨川に掛かる小さな橋を渡ると千条の滝があった。千条の滝は「チスジノタキ」と読む。いわゆる滝らしい滝ではない。しかし国土地理院の地形図にも記載されているので、昔からそれなりの知名度があったのだろう。大正時代に三河屋旅館の創業者・榎本恭三氏が千条の滝の存在を広く知らせたいと思い、周辺や滝までの道を整備した。滝上部には伏流水がありそこから水が流れてくるようだ。滝の水は水路を通して下の蛇骨川に流されている。

千条の滝(ちすじのたき)現地案内板より
この滝は、水が千の糸となって流れ落ちる様子から千条の滝と呼ばれています。幅20m、高さ3m程の滝で、苔むした岩肌をよく観察すると、角の取れた大小様々な石ころから構成されています。 このような丸みのある石ころが集まった岩塊を円礫岩(えんれきがん)といい、滝の水は、古い中央火口丘の鷹巣山や新しい中央火口丘の丸山などの山の伏流水で、この円礫岩の上から流れ落ちています。 この円礫岩は、土石流を起源とする堆積物です。大雨や山の斜面の崩壊により発生した土石流が渓流を流れ、その勢いのある水の流れの中に、取り込まれていた土砂が堆積したものです。

小涌谷は、江戸時代には「小地獄」と呼ばれた荒涼とした土地でしたが、明治10年代に温泉場として開けました。この滝も長い間、ほとんど人に知られることはありませんでしたが、三河屋創業者・榎本恭三氏がこの滝の素晴らしさを伝えるため、滝までの道を整備したことから広く知られるようになりました。当時は、滝のそばにも茶店が出て大変にぎわったと伝えられています。。

千条の滝

千条ノ滝を正面に見てそのまま右に進むと小涌谷駅まで15分ほどで行ける。途中左手に「金型はこね荘」を見て進む。金型はこね荘は健康保健組合の保養所のようだ。道なりに進みカーブを下りきると駅前道路にでた。駅前道路は箱根湯本に続く国道1号線だ。駅前道路を渡ると左側に小涌谷の小さな駅舎があった。

小涌谷駅で箱根登山電車

それにしても箱根登山電車に乗るのは久しぶりだ。十数年前、登山を終えてバスで小田原に向かう途中の道路が渋滞して登山電車に乗り換えた事があった。だからその時以来だ。小涌谷駅の標高が525m、箱根湯本駅が99m、その差426mである。この間を2回スイッチバックしながら進んで行く。スイッチバックとは稲妻状のジグザグの線路を折り返して進む方法である。そのため運転士と車掌がその都度入れ替わる。車両の最後尾にいたので線路のポイントが切り替わる様子などを興味深く見ることが出来た。箱根登山鉄道は2003年に小田急電鉄の完全子会社となる。1888年(明治21年) の小田原馬車鉄道以来130年。苦難の歴史と多くの変遷があり現在に至る。登山電車はバスに乘るのとは違った得難い感覚がある。

箱根湯本~湯坂路~浅間山~鷹巣山~千条の滝~小涌谷のコース断面図

コースタイム 歩行約4時間 距離9.6km 累積の登り939m 下り-512m
小田原駅~箱根湯本駅9:30→湯坂路入口→湯坂城址→11:58城山→12:10浅間山12:24→小涌谷分岐→12:50鷹巣山→小涌谷分岐→(コアジサイ群生地)→13:53千条の滝14:15→14:30箱根登山線小涌谷駅~箱根湯本駅~小田原駅。


バナースペース

https://www.ov2.yamaaruki.biz/
スマートフォン対応